悲劇の要塞マサダ&死海でプカプカ
さて、再びエイラートからエルサレムへ向かうバスに乗ること2時間半(1人59NIS=約1,500円)。
マサダのバス停でバスを降りました。
翌朝マサダ を日の出前に登る為に手配したホステルは「Masada youth & guest hostel」。
マサダVisitors centerの坂の真下にあります。
いや~、イスラエルはやっぱり宿泊施設、どこも高いですね。
この宿泊施設は、大きくて新しく立派ですが作りはシンプルで、日本で言えば企業の研修センターみたいな感じです。
でも、1泊朝食付ツインルーム90US$(約8,100円)。
お部屋はこんな感じ↓
ホステルに荷物を預けて、急いで死海に向かいました。
でも、マサダから死海のビーチに行けるバスの本数ってかなり少ないんです。
とにかく、最初に来たバスに乗って、行けるビーチに(死海のビーチも有料・無料といくつかあるんですけど)
行こう!と言う事でバスを待ちますが、なかなかバスが来ません。
30分くらい待って、一台のミニバスが到着。
一番近い「Ein Gedi Spa beach」まで1人25NIS(約650円)だと言うので、このミニバスで移動。
「Ein Gedi Spa beach」は、温泉もある死海のビーチで、シャワーや更衣室やお土産屋さんや休憩所もあります。
私、ちょっとここの入場料を覚えていないんですけど、結構高かった印象があります。
既に、死海で泳ぐ気満々で水着を着て来たので、ビーチへ直行。
1月の死海も結構寒いです~。
でも、ここまで来たんだもの死海に入らずには帰れません!気合だ~!気合だ~!
で、プカプカ~
お約束の「死海で本を読む」の図↑
ただ、プカプカ~っと体が浮くってそれだけの事なんですけど、とっても不思議な体験で楽しいです。
死海のビーチは、塩の結晶でこんな感じ↓
裸足で歩くのはものすごーく痛いので、ビーチサンダルがあると良いですね。
死海に浸かりすぎると、自転車やバイクもこんな感じ。↑(から揚げみたい)
そして、これまたお約束の泥パック。でも、なんかこの泥・・・くさい。
こんな表現するとがっかりなんですけど・・・『どぶ川のにほひ』って言うのかなぁ・・・?そんな感じ。
この泥パック、すんごくお肌がスベスベになる!!なんて話を聞いていたので、密かに期待していたのですが、四十路のお肌にはあまり効果なし。
にほひだけが、この後1週間程ほのか~に残りました。
結構寒いので長居はできず、すぐに施設内のスパに移動。
このスパ、茶色い泥の混ざった死海の水を温めたもののようでして、ここでも香る『どぶ川のにほひ』。
このスパは、妊娠中の方やお肌のアレルギーのある方は入ってはいけないんだそうです。
そして、「15分以上の入浴は駄目」なんですって。
このスパを出て、シャワーを浴びて帰り支度をした頃には、既に閉館時間の4時半でした。
施設内には、親切な事に「バスの時刻表」の掲示があり、私達は30分後のバスに合わせてバス停へ。
バス停には既に、エイラート行きのバスを待つオランダ人カップルがいて、4人で楽しく話をしながらバスを待ちました。
だけど・・・30分待ち、50分待ち・・・1時間待ってもバスが来ません。
車自体も少ない道ですし、もうとっぷり陽もくれてしまいました。
不安になりながら待っていると、1台のバスが!! 「おーい!乗せてくれ~!」と、4人で必死に手を振ると(ほとんど気分は遭難者)、少し通り過ぎてから停まってくれました。
真っ暗なバス停で待っていたので、バスの運転手さんに見落とされちゃう所でしたね。
さて、この日はホステルのビュッフェで夕食を頂きました(1人15US$)。とっても美味しかったです。
そして、翌朝。 5:30にマサダに登るスネーク・パス入場券売り場が開き、1人25NIS払って登り始めました。
普通の人なら40~50分で登れるそうですが、とにかくへタレの私にはきつい坂道でして。
ぺトラの坂道より苦しかった~
なんとか、ノロノロと1時間かけて登り切りました。 マサダから見るヨルダンの山に昇る朝日
朝日に照らされたマサダ周辺の岩山
ここは、もともとはローマ帝国支配下時代のユダヤ・ヘロデ王 が既にあった要塞を離宮として利用する為に手を加えたものなので、サウナ付の浴場や、モザイクで彩られたホールなどの遺跡が見られます。
しかし、この要塞を有名にしたのは、その理由の為ではありません。
イエス・キリストの死後数十年して、ローマ軍によって焼き払われたエルサレムから逃げ延びた最後のユダヤ人967人が立て篭もり、ローマ軍を相手に3年間戦い続け、最後は全員で自決した悲劇の要塞として、この時から長い間国を失ったイスラエル人にとって特別な場所となっています。
このマサダの要塞↓には、ケーブルカーでも登れますが、
日の出を見るなら夜明け前から歩いて登るしかありません。
さて、登りもきつかったけど、下りもきついですね。膝が笑うこと笑うこと。
ホステルに戻って、朝食を頂き、10時にはチェックアウト。
この後、Masada visitor's centerに行きたいので、フロントで荷物を預かって欲しいとお願いしてみたのですが、「それはできないんですよ」と、つれないお返事。
大きなバックパックを背負ってエッチラオッチラVisitor's centerまでの坂を登りました。
立派なvisitor's center↑ここから山頂へのロープウェイが出ています。
ここで荷物を預け、1人20NIS払ってミュージアムを見学。
そして、マサダの歴史を紹介する短い映画を観ました。
ミュージアムの中で、ひときわ心に残るのは、小さな陶器のかけらに名前が書かれたLotsと呼ばれる札。
ローマ軍に降参して奴隷になるくらいなら、全員で自決しようと決めたユダヤ人は、10人の男性を選びます。
そして、このLotsでこの10人の中から最後に残るひとりを決めたそうです。
多くは、自決又は家族の手で命を絶ったようですが、死に切れず逃げ惑った人達もいたことでしょう。
この10人が残った同胞を殺し、そして、この札で選ばれた最後のひとりが、全員の死を確認して自決(実際には子供を含めて7名が生き残ったそうですが)。
残酷な任務ですね。いつの時代にも、こんな悲劇は繰り返されるものです。
(私達は今回、自力でマサダと死海を周りましたが、エルサレムからもツアーが出ています。
私も初めてのイスラエルの時に宿泊先のホテルで予約をして日帰りのツアーで同じようなルートを辿りました。
エルサレムからのツアーに乗っかった方が、安上がりで便利かもしれませんね。)
さて、この日は私達、イタリアへの帰国の為に、このマサダからエルサレムを経由してテルアビブの空港まで移動しなくてはなりません。
12:15マサダ発のエルサレム行きのバスに乗り、バスを乗り継いでテルアビブのバスセンターまで来たのは良いけれど・・・。テルアビブから空港までのバスが見つからない。
テルアビブのバスセンターは7階建ての大きなものなのですが、切符売り場もインフォメーションも全ての窓口が閉まっています。「なんで~?!?!」
答えは→金曜の午後3時を過ぎたから。
イスラエルでは、安息日であるサバトの為、金曜の午後3時以降と土曜日は全てのサービスがストップし、お店もほとんど全部閉まるんだそうです。
本当なら、ここから空港行きのバスがあるようなのですが、金曜日・土曜日は運行していません。
急いで鉄道駅に行ってみましたが、午後3時を過ぎているので駅も閉まっています。
「やられた~」 イスラエル旅行を考えている方には、このイスラエルのお休みをしっかり把握してスケジュールを立てることをお勧めします。
私も、出発前にイスラエルの祝日を調べ、サバトについても知ってはいたのですが
「空港行きのバスくらいあるだろう」なんて甘い考えでいたんですね~。
ユダヤ教の安息日を甘くみてはいけませんね。
結局、タクシーで100NIS払って空港へ向かいました。
私達の便は、朝6時発だったので、この夜も空港で寝袋に包まって夜明かし。
テルアビブのホステルで1泊しても良かったのですが、夜明かしした理由。
①イスラエルの空港の搭乗前のセキュリティー・チェックは通常異常に厳しく、
4~3時間前には空港に入るべしとガイドブックに書いてあったから。
実際、他の空港より厳しかったし、列も長かったのですが早朝と言うこともあり、
意外と時間はかかりませんでした。
②安息日:土曜日の早朝、タクシーがつかまるのか不安だった。
そんなわけで、最後の最後まで空港でごろ寝と、結構ハードな旅行となりました。
Fabcinoからは、イタリア帰国後「Makicinaのせいで風邪ひいた~」とクレームがありましたが、貧乏旅行だ!我慢しなっ(鬼)」と、言うことでご理解いただき(?)ました。
「次の旅行の計画は、絶対僕が立てます!!」と主人。
さてさて、貧乏夫婦、次は何処へ・・・???
イスラエルもヨルダンも、すっごく魅力的な国ですが今の情勢では行くのは危険かと。
平和が戻るまで、しばらく中東旅行はお預け。本当に残念。