春のイタリア旅行⑤ローマ最終日
さて、ローマ滞在3日目。
友人達は、この日の内に北イタリアに車で戻るので、午前中だけ一緒に観光。
友人ジャンニの希望でローマ郊外にある『ドミティッラのカタコンベ』に向かいます。
途中、『サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ』に立ち寄りました。
ここは、聖パオロのお墓の上に建てられたローマ4大バジリカのひとつ。
歴代のローマ法王がひとりづつ描かれています。
スポットライトが当たっているのは、現在のローマ法王 パパ・フランチェスコ。
天井のモザイクが美しい。
ちょっと不謹慎かな・・・と思って写真は撮りませんでしたが、ここの祭壇に下には
聖パオロのお墓と、捕えられた際に使われたと言われる鎖をみることができます。
主人は、今回の旅行で訪れた教会の中で一番ここが好きだと言っていました。
カタコンベに向かう分かれ道で『ドミネ・クォ・ヴァディス教会』を通過。
6年前に姉と2人でローマ観光をした時に、カラカラ浴場からアッピア街道を歩いて来たことがある教会です。
カラカラ浴場からは、歩ける距離だけど(徒歩30分くらいだった記憶が・・・)、車の通りが多い割に道幅がとっても狭いので歩いてここまで来るのはちょっと危険かも。
カラカラ浴場からは118番のバスがアッピア街道を走っている(218番も走っているけどどこから来るのか不明)ので、バスを使った方が良いと思います。
この教会は、ネロ帝のキリスト教迫害から逃れる為にローマを離れようとした聖ペテロが、亡くなったはずのキリストとこの場所で出会い「ドミネ・クォ・ヴァディス?(主よ、どこへ行かれるのですか?)と尋ねた場所とされています。
「もう一度、十字架にかけられるためにローマへ行く」と言うキリストの言葉を聞いて、聖ペテロは、ローマから逃げ出そうとしていた己を恥じて布教の為に再びローマに戻り、捕えられて逆さ十字に磔られ殉教したと言われています。
ドミネ・クォ・ヴァディス教会。写真はネットから拝借。小さな教会です。
教会にはイエス・キリストの足跡と言われるものがあります。
この教会から、緩やかに坂道を上った所に「ドミティッラのカタコンベ」は、あります。
歩いたら多分教会から15分くらい?
カタコンベの中は、伊語/英語/スペイン語のガイドについて周ります。
写真撮影は禁止です。見学料1人8€。
ローマでキリスト教がまだ新興宗教として迫害を受けていた時代、キリスト教徒達は従来の墓に眠ることを嫌い、ここにキリスト教徒の為の地下の墓地を作りました。
表現は悪いけど、アリの巣の様に地下に部屋が作られて、こんな風↓に穴を掘って埋葬し、大理石などで蓋をしたんだそうです。
お金持ちの信者には、家族の為の特別な部屋が作られ、壁画にはこんな絵が描かれていたそうです。
でも、このカタコンベが見つかった時には、墓荒らしに荒らされてほぼ何も残っていない状態だったのだとか。
埋葬された信者の骨さえも、お守りとして売るために全て持ち去られたんだそうです。
ここに埋葬されていた人達は、いわゆる日本で言えば「隠れキリシタン」だったので、他には分からないシンボルを使って信仰を共有していたそうです。
魚はイエス・キリストを現すシンボル。
「イエス/キリスト/神の/子/救い」
この頭文字を取ると、ギリシャ語の「魚」になったんだそうです。
碇は現在の十字架のような感じ?船を安定させる碇→心のより所→キリスト教。
この、pに似たシンボルは、確かどこかの教会のファザードにあったんだけど、どなたか意味を知ってらしたら教えて下さい。
このカタコンベは、お墓という役割だけでなく、ミサも行われていたそうです。
ローマ法王もプライベートでカタコンベにお見えになったそうです。
信仰心の篤さを感じられる場所でした。
そして、ここから歩いて5分ほどの所に、イタリア人にとって特別な場所があり、私達もそこを訪れることに。
こんな門を入って、アルディアティーネの洞窟の中に入ります。
第2次世界大戦の終わり、イタリアはそれまで共に戦っていたドイツに反旗を翻して敵にまわりました。1944年、33人のドイツ親衛隊がイタリアによって殺害された報復として、「1人の親衛隊に対して10人のイタリア人を殺せ」という命令が下され、この洞窟で335人のイタリア人が殺されました。
ドイツ軍は、殺害の後この洞窟を爆破し、隠ぺいを図ったそうですが、イタリア軍により発見され、犠牲者のお墓が作られました。
なぜ330人でなくて、335人だったのか?という点も後に大変問題になったそうです。
さて、カタコンベから、最寄のメトロまで友人達と移動して、私達はここでお別れ。
友人達との旅行は、まぁ、正直大変だったけど、それでも楽しかった。
お世話になりました~♪ありがとう~
本日は、夕方の列車でチンクェ・テッレに近いポルト・ベネーレと言う町に移動です。
列車の時間まで、ちょっとレストランで昼食。
こちらのサイトで紹介されていた「Ristorante tre archi」へ。
手前が私がオーダーしたキノコのパスタ。奥が主人のブロッコリーのパスタ。
一口食べて「うまいっ!!」って思ったんだけど、なんかちょっといつものキノコパスタと違うんですよ。
何が違うんだろう?オリーブオイルがやけに軽くて味が深い。
「Fabcinoさん、ちょっとこれ食べてみて」と、主人に一口食べてもらったら
主人は「うげっ!!」っと。
「これ、ブタの油使ってるよ、僕はダメだ」
(この方は健康志向で頭で料理を食べるタイプの人。)
そっか~、オリーブオイルじゃないんだ~。なるほどね~。
写真に撮るのは忘れちゃったんだけど、ここのカルチョフィも大変美味しゅうございました。
お店の雰囲気も素敵だし、お料理も美味しくて私は気に入りましたけど、主人は
「水とパンだけで7€(日本円で1,000円弱)って絶対高すぎる!!!」と、パンと水のオーダーを断固拒否。あまりお気に召さなかった様でしたけどね。
前菜×1/パスタ×2/ハーフワイン×1 〆て28€。
このレストランは、人気のサイトで紹介されているからか、日本人旅行者も多かったです。
通りの雰囲気も良くて、絵になるナヴォ―ナ広場にも近いので、観光のついでに寄るには良いのではないかと。
私はまた行きたいけどな、このレストラン。
レストランの周辺は、ちょっと雰囲気のあるお店やバーが多い↓
さて、15時55分の列車でラ・スぺツィア(La spezia)駅を目指します。
ローマからは乗り継ぎなしで約4時間。
私達が今夜1泊するポルト・ベネーレ(Porto venere)の町は、ラ・スぺツィアからバスでさらに30分程の距離。
ポルト・ベネーレ行きのバス乗り場は、駅前ではなくて駅から徒歩で15分程の所にあります。
※駅を出て左手に進み、トンネルが左側に見えたら右に曲がり、道なりに進んで、左側に薬局があったら、バス停はそのななめ前にあります。
ここで、私の重大なミスが発覚!!!
今夜の宿泊先は「Ostello Porto Venere」って言うホステルなんですけど、チェックインは夜7時30分まで。
気づいた時には既に8時!!
ホステルに何度も電話するけど、もう、既にレセプションの人はいない様で誰も電話に出てくれません。
「やらかした~」
チェックインの時間とか全然気にしてなかった・・・・。
どうしよう・・・?今夜、泊まる所がないかも・・・・
ひとまず、行くだけ行ってみようってことになりまして、バスに乗りました。
※チケットは運転手さんから買えます 1人2€。
ポルト・ベネーレに到着して、バス停から急な階段をワッセワッセと荷物を持って登り、ホステルに到着。
・・・明かりがついてな~い。
それでも、ドアを押してみたら、・・・あれ・・・、開いた?!
レセプションに行ってみたら、デスクに私の名前の書かれた封筒とメッセージが!!!
部屋の鍵ゲット~!!!あ~、よかった。本当にありがとう、レセプションの人っ。
このホステル「Ostello Porto Venere」はちょっと高台にあって、とってもシンプルなつくりですが、部屋も広く、新しくて綺麗。
スナックみたいな朝食付きでツイン1泊50€~。
バックパッカーで安く宿泊したいなら、ドミトリーもあります(1泊25€~)。
宿泊料金高目のこのエリアでは、とってもありがたいホステルだと思います。
おすすめ空室状況はこちらでチェック♪
ホステルからはこんな景色が見られます。
※バス停から町の中心に向かう緩やかなカーブを曲がった右手に階段があって、この階段を上った所に学校(小学校だと思う)があって、この小学校の横の木製のステップを入るんですけど、表示がないのでちょっと分かりにくいです。
夜のポルト・ベネーレをお散歩。
町のメインストリート↑
この町、かなり良いかも~♪