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イタリア人夫との世界アッチコッチ旅行記 (アメーバブログから引越ました!)

クラクフ 4泊5日 ③ ≪アウシュビッツ強制収容所≫

クラクフ3日目。

 クラクフは、ポーランドの中では一番見どころの多い街です。

ポーランドに来る機会があったら、首都のワルシャワはすっ飛ばしても、クラクフには3日くらい滞在するべき!!・・・と、これは私の個人的意見ですが・・・。

 

クラクフの旧市街』『ヴィエリチカ岩塩抗』『アウシュビッツ強制収容所』この3つは絶対押さえたい。

クラクフの街は、思っていたより大きな町なので、この3か所を周ろうと思ったら駅周辺に宿泊するのが効率的です。

レッド ブリック アパ―トメンツ』←このホテルは立地も良いし、宿泊者の評価も高い。1泊80€位~。

ヴィエリチカ岩塩抗行きのバスはこのホテルの前から出ているし、アウシュビッツ行きのバスターミナル/クラクフの鉄道駅にもとっても近くて、旧市街にも歩いて10分弱。アクセスが大変よろしい。おススメ♪

 

 さて、本日は、クラクフからバスで世界遺産(負の世界遺産とも呼ばれる)アウシュビッツに向かいます。

アウシュビッツは、チェコポーランドの国境近くにあり、乗り換えなしのバスか、鉄道+バスで行けるようなので、私達はバスで行くことに。

アウシュビッツ行きのバスは、クラクフ本駅の東側に隣接している中長距離バスのターミナルから出ています。

バスの窓口でチケットを購入。1人往復 28PLN。所要時間2時間弱。

アウシュビッツ行きのバスは、朝8時25分から30分/1時間に1本くらいの間隔で走っています。

片道に2時間かかるし、見学ツアーの所要時間は4時間くらいなので、遅くとも12時45分クラクフ発のバスに乗らないと見学は難しいのではないかと・・・。

 

私達は8時25分のバスに乗車。

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 アウシュビッツを目指す旅行者は想像していたより多くて、バスに乗れなかったり2時間立ちっぱなしの乗客もいました。チケットを買っておいても席予約とはならないみたいなので、乗車の列に並びましょう。

後で理由は書きますがアウシュビッツに行くならツアーに乗っかった方が良いかもしれません。

 

バスの車窓からの景色は長閑なものですが、 

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かつてこの辺りを貨物車に乗せられて多くの人々がアウシュビッツに移送されたのかと思うと,こんな風景も少し違って見えます。

 

 アウシュビッツに到着して、チケットを購入。

英語ガイドとの見学1人38PLN。

アウシュビッツには、当時は3つの強制収容所があったそうですが、現在残っているのは『アウシュビッツ1』と『アウシュビッツ2(ビルケナウ)』の2つの強制収容所です。

 

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 英語のガイドさんについて、まずは最初に強制収容所として使われる様になった『アウシュビッツ1』から見学を始めます。

 

ここは、元々はポーランド軍の兵営の建物だったものをドイツ軍が占領した後、ソ連兵の捕虜、政治犯ポーランドの捕虜を収容するのに使用し、後にユダヤ人の大量虐殺の場になりました。

『働けば自由になれる』と書かれた門。

 

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 こんなブロックで造られた施設が30棟程並んでいます。

 

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張り巡らされた高圧線。

自らこの高圧線に触れて命を絶つ収容者もいたそうです。 

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 このアウシュビッツ全体での収容者数の表記。

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   アウシュビッツはナチの最大の強制収容所であり死の収容所だった。

  1940年~1945年にかけて、ナチは少なくとも130万人をアウシュビッツに移送。

      ユダヤ人 110万人

      ポーランド人 14~15万人

      ジプシー 2万3千人

      ソ連兵  1万5千人

      その他  2万5千人

  約110万人が死亡。90%はユダヤ人。SSはこれらの人々の多くをガス室で殺害。

      

        

 

ここに送り込まれた人達は、写真を撮られ、囚人番号で管理されていたそうですが、

囚人の数が増えると写真が追い付かず、手首に囚人番号を刺青することで管理する

様になったそうです。

番号を付けられた時から、囚人たちは人ではなく物として扱われるように・・・・

 

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囚人を絞首刑にしていた場所。

 

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 この門をくぐると生きては戻れないと恐れられた場所。

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この門の突き当りにあるのが、逃亡を図ったり、反逆の疑いをかけられたり・・・さまざまな理由で収容者が銃殺刑に処された壁。

 

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正当な理由があろうとなかろうと、ここでは毎日体罰や処刑が行われていました。

膨大な数の収容者を恐怖で服従させるのが目的だったと言われています。

 

そもそもこの収容所の目的は、労働力の確保もありますが、日々移送されて来る多くの収容者(多くはユダヤ人)を処刑する事にあったのですから、収容者を生かすための場所ではないんですね。

 

ある一人の女性は、リンゴをひとつ盗んだ罰として、昼間の過酷な労働の後に、50㎝四方の小さな部屋に4人で詰め込まれ、ろくに息もできないぎゅうぎゅうの狭い場所に立ったまま押し込められるという刑に3日間処されたそうです。

 

この地域は、夏は日中37度、真冬はマイナス20度まで気温の下がる過酷な環境ですが、衣服は縞柄の粗末な囚人服のみ。布団も薄い麻布の様なものが1枚だけ。

収容者達は固いベッドに藁を敷き1段に4人で寝ていたそうです。

 

脱走者が出ると、連帯責任として1人の脱走者に対して10人の収容者が殺されました。

マキシミリアノ牧師は、かつて日本の長崎で布教活動をされた事もある方で、このアウシュビッツに収容されました。

収容者の脱走が発覚し、無作為に選ばれた10人の中の男性が「私には家族がいる、死にたくない」と泣き崩れるのを見て、牧師は彼に代わって処分を受けると申し出、死ぬまで水も食事も与えられない餓死室に入れられました。

牧師が亡くなられた餓死室18番の部屋も見学することができます。

 

アウシュビッツでは、当初収容者の処刑はドイツ兵による銃殺が主でしたが、収容者の数が増え過ぎた事と、ドイツ兵の精神的な負担を考慮して1度に大量の処刑が行える方法が考えられ、殺虫剤が使われる様になりました。

しかし、殺傷能力はあまり高いとは言えず、初めてこれによって処刑された収容者たちは2日間苦しみ続けたそうです。

 

最終的に行き着いたのが、1度に800人を殺す事が可能なチクロンB。

(全員が息絶えるには約30分かかったそうです)

 

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アウシュビッツに連行された人々は、列車から降ろされると男女に分けられ、選別され、約70パーセントは非労働力として『シャワーを浴びる為』と服を脱がされガス室に送られました。

ガス室には偽のシャワーも取り付けられていたとか・・・。

死体からは金歯などが抜かれ、焼却されて池に捨てられました。

 

その様な作業には、同じ収容者から選ばれた人々があてられ、彼らは他に比べれば多少優遇されましたが、口封じの為に定期的に処刑されたそうです。

 

アウシュビッツⅠのガス室の内部。

 

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実際に使用されたガス室は、ドイツ軍の証拠隠滅の為に破壊されて残っていません。

このガス室は復元されたものだそうです。

 

 アウシュビッツ1では、ここで犠牲になった収容者達の遺品を見る事ができます。

 何らかの障害を持つ者は社会のお荷物であり、生きる価値はない。当時のナチはそう考えていたので、ドイツの障害者も粛清政策の下、収容されて殺害されました。

同じような理由でゲイの人達も強制収容所に送られました。

義足や義手、コルセット等。

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 収容所に送られた人たちの靴。

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 小さな子供たちの衣服。

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ここでは、想像もできない様な人体実験が医師たちによって行われました。

特に、ジプシーの子供や、双子は医師たちのかっこうの研究材料にされたんだそうです。

 

アウシュビッツに送られる収容者の数は日増しに増え、第二の収容所が作られました。

第二の収容所『アウシュビッツ2 (ビルケナウ)』へは、無料送迎バスで10分程の移動です。

ここビルケナウは、第一のアウシュビッツよりずっと広く、3倍以上の収容者が収容されました。

ピーク時には、このビルケナウだけで9万人を収容していたそうですが、このビルケナウは更に過酷な環境だったと言われています。

 

この門をくぐって列車は収容所に入りました。

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ブロックでできた収容棟の他に、こんな木造の収容棟も多く建てられました。

約300棟がこのビルケナウの中にはあったそうですが、多くは破壊されました。

 

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収容所に送られた人々は、ヨーロッパの色々な国からここに移送されて来ました。

一番遠くはギリシャからで、2週間かかったそうです。

移送に使われた貨物車 ↓

 

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食事も水も与えられなかったので、到着した時には既に息絶えていた人々も少なくなかったとか。

彼らは、『東ヨーロッパのどこかに移住させられる』と信じてここに移送されて来ました。

持ち物も後でそれぞれに返すから名前をしっかり書く様に言われ・・・

収容者達の鞄

 

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実際は、列車が到着したホームで男女に分けられ《労働力》と《非労働力》に選別され、

 

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《非労働力》つまり老人や子供や労働に向かない女性達はそのままガス室に送られ、

 

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↑(シャワーを浴びると言われ)ガス室に向かう人達。

 持ち物は全て没収されてドイツに送られました。

 

 ここでの収容者達の環境は劣悪で、食事もまともな物は与えられず、朝はコーヒーの様な濁った飲み物、昼は具の無いスープ、夜は少しばかりのパンとマーガリン、これだけで日々の過酷な労働に耐える生活でした。

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収容されている棟にはダニやシラミ、チフス等の伝染病がまん延し、ネズミは生きている収容者達にもかじりつき、朝の点呼の際に死者が出るのも珍しい事ではなかったそうです。

 

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トイレ↑は1日2回労働前と労働後と決められ、労働中に死亡した囚人は点呼の為に収容棟まで運ばれてきました。

アンネ・フランクも収容所に送られた当時はこのベルケナウに収容されていました。

しかし、他の収容所に移送され、そこでチフスにかかって15歳で命を落としました。

 

この収容所を、ソ連軍の解放以前に何らかの理由で生きて出られた人達がどのくらいいたのか、私には分かりません。

脱走に成功した人たちは居たそうですが・・・。

 

1945年の1月にソ連軍がこのアウシュビッツを解放した時には5万人の収容者が収容所に残されていたそうです。

しかし、その人たちも即治療を受けなくてはいけない酷い健康状態でした。

 

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撤退の際にドイツ軍は、証拠となるようなものを焼却し、ガス室も爆破しました。

このアウシュビッツで任務に就いたドイツ兵の多くは逃げ延びて罪に問われた者は多くなかったそうですが、捕まった者は戦争終結後裁判にかけられました。

 

アウシュビッツの所長であったルドルフ・ヘスは、5人の子供を含む家族とこのアウシュビッツの敷地内に住んでいました。

ソ連軍が収容所を解放した時、どこかに逃げ延びたそうですが、1946年に捕まり裁判にかけられました。

 彼は、アウシュビッツ1のこの場所で絞首刑に処されました。

 

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この人類史上最悪と思われる収容所での虐殺を任務として行った所長も、家庭ではふつうの夫であり父であったそうです。

彼は、最後にこんな事を書き遺しています(ウィキペディアから抜粋)。

 

 【世人は冷然として私の中に血に飢えた獣、残虐なサディスト、大量虐殺者を見ようとするだろう。けだし大衆にとってアウシュヴィッツ司令官はそのような者としてしか想像されないからだ。彼らは決して理解しないだろう。その男もまた、心を持つ一人の人間だったということを。彼もまた悪人ではなかったということを】

 

本当に、気持ちの滅入る1日でした。

 

戦争のない平和な時代に生きていれば、普通に暮らす市民だったかもしれない人達が『戦争』と言う特別な環境の中で、どんなに残酷になるものなのか、私達に示してくれる特別な場所です。

地獄は死後の世界にあるものではなく、人が作るものだと改めて感じました。

 

 一方で、人が鬼にかわる戦争中にも、崇高に生きた人たちがいます。

 

200人のユダヤ人の孤児達と共に収容所のガス室に入ったヤヌシュ・コルチャック医師。

他の収容者の代わりに自ら餓死室に入ったマキシミリアノ・コルベ神父。

1200人のユダヤ人を救ったオスカー・シンドラー

日本政府の意向に反してユダヤ人にビザを発行して6,000人を救った杉原千畝外交官。

 

あんな状況下でも、人間として正しいことを為せる人達がいる事に、わずかな希望を見る思いがしました。

これから先の未来に、この様な悲劇が再び起こらないようにと祈る事しかできません。

 

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アウシュビッツには、イスラエルの高校生が修学旅行でやってきます。

この日も団体のイスラエルの高校生が見学をしていました。

 

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 イスラエルの旗を掲げて歩く学生達 ↑ 。

 

 見学を終えて、再びバスでクラクフに戻ります。

帰りのバスの時刻表↓

 

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※時刻の後のマークの説明

6=土曜のみ運行 7=日曜のみ運行 Lm=クリスマス休暇中/元日/イースターは運行していない

 

 本日は、普通日なので・・・2時10分はついさっき出ちゃって・・・次は3時50分!?むぅ

1時間半もバスを待つの!?ショック

 

見学者が多い割にバスの便がなんて少ないんだろう・・・。

見学を終了した人たちが、バス停で列を作っているので、私達も並ぶ事に。

 4時間の見学中も休みなく歩き周り、その上これから1時間半も立ってバスを待つのか・・・。は~・・・が~んつかれた

 

まだかまだかと待ったバスがやっと到着。

このバスに乗れなかった人たちもたくさんいたのですが、私達の座った席の前に

最後に乗り込んで来たフランス人の女性は席がなく、1歳児を抱いていました。

 

Fabcinoさんが席を譲り、結局バス停で待った時間と合わせると3時間半立ちっぱなしと言う羽目になってしまい・・・。

アウシュビッツに来るなら、バスを待つ必要もなく、人数分の席のあるツアーが良いと心の狭い私は思いました凹

 

この夜は、とっても疲れてしまったので夕食も部屋で済ませました。

『負の世界遺産』と呼ばれるアウシュビッツ

「戦争は致し方ない」と言う誰かの言葉に、もしも同意するのなら、一度訪れてみるべき場所だと思います。

 

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        『歴史を覚えていない者は、同じ道を辿ることになる』

 

 

いくらアウシュビッツについて本等で読んでも、心で感じるのには限界があります。

今回の旅行で、この場所に立って考える機会を得た事が、一番意義ある事でした。

 

 

アウシュビッツ関連書籍】

 

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  「夜と霧」 

アウシュビッツに収容されていたポーランド系ユダヤ人であった著者が、精神科の医師として収容者の心理に焦点をあてて書いた本。

文体が固く若干読みにくいですが、大変興味深い本でした。

 

 

クリック 

アウシュビッツ博物館案内」

アウシュビッツで日本語ガイドをされている方の書いた本。

アウシュビッツに行くなら持って行きたい本。

 

クラクフ 4泊5日④ 最終日』につづく